アラブの反乱を先導しバイクと共に散っていったトマス・エドワード・ロレンスという男
映画『アラビアのロレンス』のファーストシーンで主人公トマス・エドワード・ロレンスが颯爽と走らせているあのバイク。あのエンジン音がたまらなく調べてみたらイギリスのブラフ・シューペリアというメーカーのバイクだった。実はロールスロイス社から「モーターサイクルのロールスロイス」と名乗ることを許された唯一無二のバイクメーカーでもあったのだが、その活動期間は1919〜1940年というあまりにも短い期間だった。
ブラフ・シューペリア製のバイクは21年間で3,000台余りを生産したが、1台1台が手作りという凝った造りだった。つまり顧客の要望に応じてオーダーメイドで造られた言わば芸術品のようなバイクだったのだ。また世界最速を競う速度記録でもブラフ・シューペリアは活躍し、1924年、1929年、1937年に世界最速車の座に就いている。ちなみに1937年の記録は273.244km/hだった。
トマス・エドワード・ロレンスという男はブラフ・シューペリアのバイクオーナーとなれた、実に幸運なライダーのひとりだったのだ。ロレンスはブラフ・シューペリア代表のジョージ・ブラフと非常に仲が良かったらしく、幸運どころか彼はなんと7台のブラフ・シューペリアのバイクを所有していた。そのジョージ・ブラフに敬意を表したのか7台のバイクに「ジョージ」という名を与えナンバリングして保管していたそうだ。
ロレンスの「運命の日」は1935年5月突然訪れる。映画『アラビアのロレンス』で描かれたファーストシーンのように、郵便配達の少年が乗る自転車を避けようと急ブレーキをかけた直後に前輪がロックし、コントロールを失い激しく地面に転倒した。あの時代はノーヘルにゴーグルと言う軽装だったため、脳へのダメージは相当ひどかったようだ。事故から6日後の5月13日、こよなくバイクを愛したロレンスは脳挫傷により46歳の若さでこの世を去ってしまった。生前ロレンスは・・・
「自動車は事故を起こすと他人を巻き込んで死なせてしまう。しかし、オートバイは事故で自分が死ぬことはあっても、他人を死なせてしまうことはない。犠牲的精神を発揮するオートバイは騎士道そのものである」
と語っていたそうで、バイクを愛してやまなかったことがこんな言葉からも伺える。
ロレンスが亡くなる直前まで暮らしていた小さなコテージ。彼は生涯独身を通したが最後に見つけた楽園のような終の住処もたった2週間しか楽しめなかったようだ。
人生は短い。人間に与えられた時間は束の間の虹のごとく。
ルキウス・アンナエウス・セネカ(ローマ帝国の政治家、哲学者、詩人)
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