なぜアナリストなのか?

インターネットが一般的に使われだしたのは1995年頃だったと思う。当時はまだ電子メールのやり取りとホームページの閲覧が中心だった。そのよく年には会員制の「みゆきネット」が始まり、それが日本におけるSNSの走りとなった。その後1999年に2ちゃんねるが運営を開始するのだが、同年9月に日本でも公開され、のちにその世界観や映像表現も含めて多くの人々を熱狂させ影響を与えた映画『マトリックス』が公開された。
あの当時のマトリックスはアーキテクト(設計者)が支配する仮想現実の話しで、アーキテクトはシステムの完成度を高める為にこれまで5人の救世主による仮想現実を繰り返していた。この映画はTwitterやfacebookが誕生する遥か前に作られていたことを考えると、SNSのプラットフォームの設計がいかに大事であるかを暗示していたように思う。さて今回の『マトリックス レザレクジョンズ』だが、支配者はアーキテクトからアナリスト(分析者)に代わっていた。

監督のラナはいったい時代の何を読み解いていたのであろうか?

最近のSNSを俯瞰で眺めてみるとネット上の「炎上」騒動に見られるように、事実そのものよりも、それに付随する「感情」と、その「数」が優先される傾向にある。ユーザーの感情を利用するアルゴリズムのコントローラー、つまり「事実」ではなく「感情」を利用して人々を支配する「アナリスト」のような男こそがシステムの支配者なのではないか。群衆の「感情」を動かすものこそが現代社会における支配者であり、この映画のアナリストはその象徴なのではないだろうか。

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