ちあきなおみが「喝采」を歌った当時、彼女は25歳だった

当時としては、と言うか今に至るまで国内においてはとても画期的なのが「ゲレンデの中に駅がある」特殊なスキー場。それが面白山のゲレンデだ。プラットフォームでスキーを履いてそのままリフトに乗れば即ゲレンデ。
1984年の冬、この面白山のゲレンデのスピーカーから思いがけず聴こえてきたのが吉幾三の「おら東京さ行ぐだ」だった。当時はユーミンに代表されるニューミュージックが全盛の頃で、コミックソングがゲレンデでかかるなんてことはまず考えられない時代だった。
こんなコミックソングが流れるところが面白山の良さでもある。今と違って地元の人が一所懸命運営しているドメスティックなゲレンデだったから許されたのかもしれないがw
昭和の歌謡曲って、こうして何の前触れもなく突然耳に飛び込んでくるのが特徴だ。勝手に聴こえてくるからこそ無意識にスゥーっとカラダに入ってくる。ゲレンデや、漁港や、村や、街が、歌謡曲を歓迎してくれたとても幸せな時代だった。勝手に聞こえてきたからこそ無意識に覚えてしまう。昭和とはそんな時代だったのかもしれない。
今は自分の好みで「選んだ」楽曲しか聴かない時代。つまり「選んだ人しか知らない」楽曲が世の中には沢山溢れている。だから聴き損ねてしまった名曲が山ほどある。そうした聴き損ねてしまった平成の名曲を知るキッカケのひとつだったのがスナックのカラオケだった。また、隣り合わせたお客さんと歌謡曲を通して世代をさぐったりすることもスナックの楽しみのひとつだった。
そうした名曲を通して「知る機会」までもコロナは奪ってしまった。

バイク★チョイノリ

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